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次代の社会を担うリーダーを目指して
卒業生インタビュー

人の縁で多様な仕事を経験。視野が広がり、今に活きています。
男性 卒業生

奈良県三宅町

森⽥ 浩司さん

町長

総合経営学部 経営学科

2007年卒業

奈良県立上牧高等学校 出身

大学生活で取り組んだ学修や、
印象に残っているできごとを教えてください。

大学在学中は経済・マネジメントなどの分野を学び、ゼミナールではアメリカの自動車メーカーの雇用や労働について研究していました。経済が動くロジックを理解し、社会構造をマクロ・ミクロの視点から考察するのは、とても興味深かったです。

大商大を卒業してから町長就任までの
キャリアストーリーを教えてください。

三宅町の町長に就任するまで、さまざまな仕事を経験しました。マンホールの新設や、光ファイバーの管を地下へ通す建設現場での仕事。その他にも選挙スタッフ、国会議員の地元秘書、ゴミ収集の作業員や生協の配達など、行く先々で縁がつながり、多様な職種を経験することができました。私たちの生活を支えるさまざまな仕事を経験したことで得た広い視野や知識は、町長になった今でも役に立っていると感じます。
もともと三宅町に貢献する仕事がしたいと強く思っていたわけではありませんが、当時の三宅町の議会は平均年齢が高く、打ち出される政策には若い世代が求めるものとずれがあると感じていました。自分が議会に飛び込むことで、若い世代の価値観を知ってもらいたいと思い、町議会議員に立候補。一年間の議員生活を経て、もっともっと町を良くしていきたいという想いを募らせていた頃、次期町長選挙は立候補者が現職のみで無投票当選になりかけていました。そんなとき、ある住民の方の「森田さんが出馬してほしい」という声に背中を押され、出馬を決意。全国で二番目に若い町長として当選を果たしました。自分の住んでいる町を面白くしたい。その一心でした。

現在のご勤務先でのお仕事内容や、
やりがいなどを教えてください。

行政においても複数の視点を持つことは大切で、中でも違いを認め合い“対話”を重ね、共通理解を探る姿勢は組織のリーダーとして欠かせません。役場の全職員に私の考えを伝えるのは非常に難しいですが、同じ想いを共有できていれば、プロジェクトは一気に進みます。職員と同じように住民とも対話を重ねて建設的な議論を行い、町づくりを自分事として認識してもらうために働きかけるのが私の役割です。そうして構築された信頼関係や人との縁が、さまざまな取り組みに挑戦する原動力になっています。

今後の目標を教えてください。

少子高齢化の問題に直面している三宅町では、特に子育て支援に力を入れてきました。中でも住民の方から高い満足度を得られたのが、「手ぶら登園」の取り組みです。通常、保育園へ子どもを預ける際には、オムツに名前を書いて持参し、使用後のものは自宅に持ち帰る必要があり、保護者の負担になっていました。そこで、オムツを保育園で一括管理する民間のサブスクリプションサービスと提携。導入後、保護者だけでなく、保育士からも業務が楽になったと嬉しい声が出てきました。この取り組みは渋谷区を皮切りに導入する自治体が増えており、三宅町から全国に笑顔が広がっているのを嬉しく思います。今後も官民連携をうまく取り入れながら、子育てのしやすい環境づくりに取り組んでいく考えです。
また、2021年12月には地域交流センターMiiMoがオープン。学童保育不足の解消を目指し、住民も参加するワークショップを用いて、子ども達をはじめ、他世代が交流できる施設をつくりあげました。その結果、施設内にはダンス鏡がある防音室や、勉強のための自習室、地域住民が出店するチャレンジショップのスペースなどが設けられ、毎日たくさんの人が集まる場所になっています。
私の夢は、若者に三宅町に留まってもらうことではありません。広い世界へ羽ばたき活躍しながらも、三宅町という地元のことを好きでいてほしい。そんな、人の心に残るまちづくりを目指しています。
(2022年取材)

受験生のみなさんへ

大学時代の友人やゼミナールの恩師をはじめ、町長になるまでに背中を押してくれた方や住民の皆さん、官民連携で関わる企業の方や役場の職員。縁が縁をつないで、今の自分があります。高校生の皆さんにも、まずは一歩踏み出してほしいと思います。その先でさまざまな人と出会い、さまざまな失敗と成功を重ねて、世界を広げていってください。挑戦せずに現状を変えられないよりは、失敗を経験にしていく方が、自分の、そして組織の未来にもつながるはずです。

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